カテゴリ:横浜コラム( 5 )

6月22日、夏至の日、午後1時から3時、
前年同日の787万kW⇒669万kWを目標に、
使用電力15%カットをめざそう!
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県民がひとつになって節電にチャレンジしよう!
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「ハマウィング」は、横浜市が環境行動都市の実現に向けて、市民一人ひとりが具体的行動を起こす契機とするため、2007(平成19)年に横浜港のほぼ中心に位置する瑞穂埠頭に設置した大型の風力発電機の愛称です。今年4月には、経済産業省の新エネルギー100選にも選ばれました。
熱や電力を作るために化石燃料を燃やせば資源が減るだけでなく、大気汚染の原因ともなるわけですが、なくなることのない風を利用してエネルギーを作る風力発電の場合は空気を汚すこともなく、地球温暖化を防ぐために地球規模で普及が進んでいます。日本でも地形的な制約がある中で、クリーンな電力として、ようやく積極的な取り組みが進んでいます。
さて、横浜港の新しいシンボル「ハマウィング」のタワーの高さは約80m、ブレード3枚、ローター直径約80m。タワーと羽を合わせると、世界一高い地上灯台「マリンタワー」の106mや、よこはまコスモワールドの大観覧車「コスモロック21」の112.5メートルよりも高くなります。
風車は効率よく発電するよう自動で運転しており、風に向かって向きを変えるように制御されており、羽の向きで横浜港の風向きがわかります。
「ハマウィング」を見るには、みなとみらいの「臨港パーク」がおすすめスポット。また、大さん橋(横浜港大さん橋国際客船ターミナル)の屋上フロア(くじらのせなか)からもよく見えます。
横浜には,「ハマウィング」より1年前の2006(平成18年)に、金沢区の幸浦の三菱重工横浜製作所内に風力発電機が設置されています。こちらは、日本の地形風土にあった風車開発のための実証実験として設置されたもので、タワーの高さは70mですが、ローターの直径は92mだそうです。
全国各地に同様の風力発電所は設置されていますが、ほとんどが郊外の山や海の近くにあり、都市型の風力発電所は全国でも珍しく、横浜は風力発電の普及への風がひと足早く吹き始めています。

ハマコミ「横浜コラム」
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横浜と印刷についての歴史を紐解いてみると、日本の日刊新聞の歴史抜きでは語れません。1864(元治元)年、幕末に通訳、貿易商として活躍したジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)は、外国の新聞を翻訳・編集し、横浜で手書きの邦字新聞「新聞誌」を創刊。翌年「海外新聞」と改題し、定期的に刊行しました。一般大衆を対象とした新聞は、半紙を2つ折、4つ折にして冊子風にまとめたもので、発行当時の購読は4部だったそうです。
明治に入り、当時の神奈川県令(知事)井関盛良は欧米の新聞事情を知り、原善三郎や島田豊寛など、横浜の富商たちに近代新聞の必要性を説き、新聞創刊に向けて資金面での協力を要請します。やがて1871(明治4)年1月28日[旧暦1870(明治3)年12月8日]に、横浜活版舎で印刷された日本語の最初の日刊新聞「横浜新聞(後に横浜毎日新聞)」が創刊されました。半紙に手書きだった幕末の新聞に対し、洋紙の両面に記事を活字で印刷し、紙面を欄で区切るという、現在の新聞とほとんど変わらないものでした。
この新聞創刊に印刷で関わったのが、長崎でオランダ活字を手本に活字製造に成功した本木昌造。幕府の通詞(通訳)として勤めながら、製鉄、海運といった方面へと活躍の場を広げますが、幼いころから洋書に接する機会が多かった昌造は、西洋の印刷物が持つ文字の美しさに魅せられ1855(安政2)年に活版印刷所を創設。1869(明治2)年には、日本で初の民間活版業、新町活版所を創立。これが近代における印刷企業の始まりとされています。そして横浜へ活字、印刷機一式と門人を派遣し、日本の日刊新聞の発刊に努めました。
因みに横浜には2つの新聞発祥の記念碑があります。1つはジョセフ・ヒコが「海外新聞」を発刊した居館の跡に「日本国新聞発祥の地」の碑が。場所は中華街、関帝廟の近く。そしてもう1つは、「横浜毎日新聞」の「日刊新聞発祥の地」の碑。こちらは中区北仲通の横浜生糸検査所(現・横浜第二合同庁舎内)構内に建てられていましたが、現在は非公開で、同庁舎内に保管されています。

ハマコミ「横浜コラム」
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2009年6月2日、150年目の開港記念日に、「象の鼻パーク」がオープンしました。
ちょうど大桟橋のつけ根、日本大通の突き当りの位置。1959(安政6)年に横浜港が開港すると、港には東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の2つの波止場がつくられました。その東波止場は、荷物を降ろす際に波の影響を避けるために少しずつ弓なりに形を変えて象の鼻のような形になり、名称も「象の鼻」に。取扱貨物の増大、船舶の大型化、コンテナ化に対応したふ頭の建設などにより、国際貿易港の横浜のふ頭が変貌する中で、ある意味横浜の原点とも言える象の鼻地区は、ひっそりと往時の佇まいを残してきました。
象の鼻パークの再整備にあたってのコンセプトは「時の港〜歴史と未来をつなぐ象徴的な空間」。港や海を見渡せる「開港の丘」や、開放的な広場「開港波止場」、横浜港の新たなビューポイント「象の鼻防波堤」、展示機能も備えた多目的なレストハウス「象の鼻テラス」などの施設のほか、定期航路船や観光船の発着施設も設けられています。
また、工事中に遺構が3点発見されました。岸壁から横浜税関の倉庫へ荷役を担った車両の方向を変える転車台、旧横浜税関倉庫の建物基礎、関東大震災により沈下した開港初期の石積防波堤。それらは開港初期のまま復元保存されています。

「ハマコミ」横浜コラム
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「ハマコミ」運営会社の社名、 野毛印刷の「野毛」は、 会社の創業地である横浜市中区野毛町から命名されたものですが、「野毛」って何だろう? ということで調べてみました。 「のげ」とは突端もしくは崖地を意味する言葉で、 「ノッケ」とも言うそうです。 因みに世田谷の上野毛は、 崖の上の地域を示した地名と言われています。 野毛町は古くは久良岐郡戸部村野毛浦といい、 横浜の開港にともない、 1860(万延元)年に神奈川奉行預り地となり、 野毛町が新設されました。 1889(明治22)年の市町村制施行の際に横浜市野毛町になったそうです。 1872(明治5)年、 野毛浦先の海面を埋め立てて造成。 鉄道用地として、 そこに初代の「横浜駅」をつくり、 汐留の「新橋駅」とを結ぶ日本で初めての鉄道が開通しました。 野毛浦と鉄道用地の間にできた河川が「桜木川」と名づけられ、 このあたりが桜木町の名称になりました。 「横浜駅」は後に「桜木町駅」となり、 三菱重工業の横浜造船所などに接していたことから、 野毛は古くから繁華街として栄え、 美空ひばりが本格デビューを果たした横浜国際劇場があった街としても知られています。現在は大道芸の街としての認知度も高く、 野毛=大衆の街といった印象が強いようです。 野毛の名称でもうひとつ付け加えておきたいのが、 「野毛山節」(ノーエ節)です。 幕末から明治維新にかけての流行り唄で、 日本近代の流行歌の原点とも言うべき唄です。 「♪野毛の山からノーエ 野毛の山からノーエ 野毛のサイサイ 山から異人館を見れば 鉄砲かついでノーエ… 」と、 野毛山から見た異人館や外国人の練兵風景などを揶揄して歌った唄といわれています。 この唄、 静岡県三島市の三島農兵節など、 全国各地にそれぞれの歌詞があることでも知られています。

「ハマコミ」横浜コラム
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